佐豊後国(大分)伯栂牟礼(とがむれ)城の城主であった佐伯次郎惟治(これはる)は、徳が高く、領民や家臣から慕われ、文武に優れた名将であった。しかし、諸侯のねたみを招き、最後には逆臣とされ、無念のうちに大永7年(1527年)11月25日、尾高智の山腹で自刃した。惟治死後、関係した者が変死し、各地で災厄や異変が起こったため、惟治を祀った神社を建立した。その数は大分県南・宮崎県北で合わせて20数社にもなる。
その後、自刃した地に尾高知神社を勧請し、現在は毎年1月の第三日曜日に、牛馬の安全や豊作、豊漁を願って大祭がひらかれ、歌糸神楽保存会により地元で伝承される神楽が奉納されている。

住所 | 宮崎県延岡市北浦町三川内字橋ヶ谷 |
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